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作者&プロジェクト紹介

つくもがみが語るゴールデン街ポニーの思い出
つくもがみが語るゴールデン街ポニーの思い出
みんなの思い出 ポニー

[1の答え]●工事現場で働いている若者が二人来てくれていた。そのうちの一人が現場の火災で亡くなり友人は酷く悲しんでいた。後で聞いた話だが、その若者は店のママに淡い恋心を寄せており、遅くまで飲んでいた。ある日は帰りの電車賃まで使いきってしまい、工事現場のセメントの袋に入って寝たことがあるという。とても恥ずかしくてあこがれの人に金を貸してくれとはいえなかったとのこと。それから、20年以上よね、ずいぶん経って、その人は関西で一級建築士として仕事をするようになり、ある日地図を頼りに店を探し尋ねてくれた。感動の再会だった。昔の話に花を咲かせたが、彼がトイレに行くと、すすり泣きが聞こえてきた。色々なことを思い出したのだと思う。

●三味線を弾くので、お店でもリクエストがあるとたまに三味線を弾きますよ。

[2の答え]●でも習っていた踊りは日本舞踊ではなくフラメンコをやってたのよ。

[3の答え]●カクテルの勉強もしていて、オリジナルカクテル「プリンセスかぐや」は女性にとても評判が良いわ。このカクテルちょっとしたミスで審査の時に一番の賞を取れなかったのよね。

[4の答え]●古い蓄音機を古道具屋さんで買ったけど、浪曲森の石松の有名な台詞の部分だけレコードが無く神田で探して買ってきたのよ。

[5の答え]●廣澤虎造よ良いでしょ。

[6の答え]●森の石松は大阪で寿司を買って船に乗ったので寿司は大阪の押し寿司なのよね。

●夏にはたまに、浴衣の会をすることもあるわ。

●都々逸のおっしょさんが来て、聞かせてくれることもあったわ。

●昔は前の人がやっていたままの店の作りだったのでカウンターがあったのよ。そのカウンターで寝ていた人の背中を友人が叩いて起したとき、びっくりしたのか、寝ていた人がいきなりグラスを壁に投げつけたの。私の顔のすぐ近くをグラスが飛んでいったから、すごくビックリしたわ。そのあと、店にいた客の人に殴り倒されて、そのまま交番に連れて行かれちゃったわ。

●ゴールデン街はケンカが多いけど、ここではその時ぐらいでほとんどケンカはなかったわね。

●昔のゴールデン街は住んでいる人も多かったから八百屋さん寿司やとんかつ屋ももあったし、銭湯もあったわ。

●こないだ94才のママ美沙さんが亡くなったけど、この店もずいぶん古くなったわ。でも、私があまり変わらないから、店にやってくる度に、人の顔を見て「ばけものー」って叫ぶ人がいるのよ。失礼よね。

●ポニーとという店の名前は前の店から受け継いでいるの。ほんとうは、しばらくしたら変えるつもりだったんだけど、一度付けると変えられなくなっちゃうのよね。

●でもポニーの看板は昔は紫だったのよ、でも赤に変えたわ。それから30年ぐらい経つかしらね。

●私は昔から新宿に住んでいるから、新宿の移り変わりを見てきたのよ。昔駅前にあった竜宮マーケットはすごく活気があったわ。やくざが仕切っていたんだけどね。そのころいわゆる第三国人が暴れることがあって、それを止めるのが特効崩れの白いマフラーをした命知らずの若者達だったのよ。なんか胸がスカッとしたわ。あのマフラーは落下傘の生地で作るらしいのよ。白くてきれいだったわ。

[7の答え]●新宿大通りの路面電車が廃止されたときに、中央分離帯にグリーンベルトができたの。そのお祝いにグリーンベルトの周りを今で言うフォークダンスのようなスクエアダンスをみんなで踊ったことがあるわ。http://www.shinjuku-ohdoori.jp/h05-01.html

●その時、踊るのに邪魔だったのでカバンを友達に渡したんだけど、すごい長い距離を踊ったので友達ともはぐれてしまったの。でも、とても楽しかったわ。私は楽しいことが好きなのよね。

●思い出があるって事は素敵な事よね。振り返れる過去があるって事よね。

●私はわかい頃、家からあまり外に出なかったので、家のすぐ近くで迷子になってタクシーに乗ったことがあるの、それを見ていた身内にずいぶん馬鹿にされたことがあるわ。

●そのころから、歌舞伎町は怖いところだから、行ってはいけないって家の人に言われていたわね。

作品展示様子

鉄瓶